SCHOOL

【コラム】六月の誕生花は、バラ?ユリ?アジサイ?

《 Belles Fleurs Tokyo フラワーデザインコラム vol.16 》

ササユリ花言葉が国や地域で種々あるように、月ごとの誕生花にも諸説があり、各月ごとに複数の誕生花が存在しています。六月の誕生花はユリあるいは、バラやアジサイとされることもあり、ひとつではなく複数の誕生花があると考えたほうが良さそうです。
そんな中で、日本や西欧で古(いにしえ)より愛されてきた百合(ユリ)を六月の花として、その美しさと歴史を話してみたいと思います。

日本の書物にユリが現れるのは『古事記』(712年)が最初とされています。神武天皇と伊須気余理比売との聖婚の場には「山由理(やまゆり)」が多く咲いていたと書かれています。奈良の平野部には山百合(Lilium auratum)は自生していないため、このユリはササユリ(Lilium japonicum)のことだと言われています。
古来から日本人が愛してきて「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」と女性の美しさを表現してきた「百合の花」は、古から野山に自生する「ササユリ(左上図)」をイメージしてきたのかと納得します。

マドンナリリー西洋のユリの歴史はマドンナリリーから始まりました。
マドンナリリーは紀元前から存在し栽培されており、ミノア文明、古代エジプトなどの遺跡の壁画に描かれ、非常に歴史のある花です。ローマ帝国の時代には、ローマ軍団が北部への侵攻する際、兵士たちはマドンナリリーの球根を持っていき、魚の目ややけどの治療薬として使われたと、歴史書に書かれています。戦地に着くと球根を植え、花や球根をワインの中で砕き軟膏を作ったそうです。ローマ軍の侵攻とともにマドンナリリーはイギリス、フランスなどの各地へ運ばれて行き広まっていったわけです。(右上図:マドンナリリー)

受胎告知キリスト教がヨーロッパに浸透するにつれ、マドンナリリー(白いユリ)の花は聖母マリアの純潔をあらわす聖花として意味づけられ、中世以降ルネサンスの画家たちは「受胎告知」の絵画で天使が持つ花や聖母マリアが手に持つ花に「マドンナリリー」を描きました。 
(右下図:サンドロ・ボッティチェッリの《受胎告知》ウフィツィ美術館蔵)

鉄砲ユリ

19世紀に日本から「テッポウユリ」がヨーロッパに伝わると、白い「テッポウユリ」とそれまでの「白いユリLilium candidum」を区別するため、「白いユリ」を「マドンナリリーMadonna lily」と呼ぶようになったのです。

日本には15種類の原種が自生しており、中でもササユリ、ヤマユリ、カノコユリ、スカシユリなど日本固有種のユリが、その後のユリの品種改良の始祖となりました。きっかけは1800年代中頃にドイツ人医師・シーボルト等がカノコユリやヤマユリなどの球根を日本から欧州に持ち帰ったことです。すでに欧州で評価されていたテッポウユリを始め、日本のユリの球根が人気を集め、生糸と並び外貨獲得の手段となったのです。

花の大きさ、上や横を向く花の咲き方など、際立って美しい日本の百合を私たちはもっと愛でて、慈しむ必要がありますね。(左図:テッポウユリ)

夏のシーズンコレクション

トップへ戻る